明るくなるため
ああだめだだめだ最近の俺は暗い。。。
俺が中心としてブラックホールが発生するんじゃないかってくらい暗い
もうなんかいろいろつまらないと感じてしまう。。。
そんな日常はもちろん打破したい。
毎日楽しく過ごしたい。
そのために自分のよくないところを直して自信をつけようと思った。
この前学生時代の友人の家にお呼ばれして、遊びに行ったとき、学生の頃はまあまあ仲良かった友人と、久しぶりに会ったので何を話していのかわからなかった。発言が少なかった。周りの友人同士はワイワイしてた。もちろん俺もワイワイに乗っかってはいた。
だけど発言が少ないうえに、自分が社会人になって、変わったところを(本当に変わっているのかわからないけど)見せたくないからなんだか恥ずかしくて、本当に発言ができなかった。
できても声が小さい。
こんなんだから、楽しいはずの時間も、そのときは楽しかったけど、振り返ると少し苦しい時間。
次の日は一日中、ズーンとなりながら何がいけないのか、どうしたらいいのかを考えていた。
そして気づいた。
みんなはいつも自然体で、自信があるから、周りの友人には認められているだろうという感覚があるから、自然に会話や発言ができるのだ。
その感覚が俺にはないから、こんなこと言っても大丈夫かな?とか考えて、失敗するならここは退避!負け戦はしない。みたいな回路が頭の中で働いて、発言を取りやめるのだと思う。
もしくは、認められていなくても平気、といった感覚を持っているのかもしれない。
いずれにせよ、俺はそんな感覚、いわゆる自信を身に着けたい。
もともと親しかった友人に対しても、こんな風に感じてしまうなんて、かなり致命的だと思った。
完璧主義をやめて、
自分の過去を認めることがまず第一かと思う。
そのためにいやな記憶が定期的にフラッシュバックするので、それを捕まえて肯定するという試みに挑戦する。
自分に自信のない人、自分のことを信じていない人を見ると、なんだかこっちが不安にあんる。
周りの人たちにそれと同じ目に遭わせてしまっているのだ。。。
以前後輩に、
世の中、なにが正しいか正しくないかではなく、何を正しいと信じるかどうか。
と語ったことがある。これはこの世界の真理だと思う。
特にこのITの発展で、情報があふれかえっていて、何が正しいか、正しくないかわからない。書いてることが嘘っぱちなだけではなく、写真だって合成かもしれないし、映像もCGで実物ではないかもしれない。しかも最近できたADOBEの例のソフトで人の発言でさえも本当かどうかわからなくなるのだ。
少し脱線したけど、
そんな正しいことが何なのかわからない世界で、さらに数秒後に何が起きるかわからない世界で、そんな荒波の中で、
唯一絶対なのが自分
これを信じずして、何を信じるんだって話だ。相手に答えを求めたってかえって来ないかもしれないし、それは間違った答えかもしれない。
まあだから、フラッシュバックを肯定して、自分を認めれるようがんばろう。
それと
人生をふりかえってみて、
俺は自分の考えを他人に漏らしたことがない。
不言実行こそが至高であると思っているから、というのと嫌われたくないセンサーが作動して、発言を遮断してしまう。
不言はよくない、不言は不実行になりやすい。
それに相手に考えを伝えたとしてそれをどう判断するかは相手次第。考えを伝えるのは大切なことだと思う。
ということで思ったことはどんどん伝えていこう。その一環としてこの文章を書いていたりする。
うーんなんか長くなってしまったが、こんな感じで、、、これは来年の目標として継続的にやっていくのだ。
今日気づいたこと
技術はあいまいな言葉だ
英語にするとskill とtechnology とも表すことができるけど、だいぶ意味が違うと思う。
あいまいな言葉ってよくないよね。
できるだけ使わないようにしたい。